波打ち際でいつまでも座っていても飽きが来ないのは
北の海に住む丸いフウセンウオも怖いオオカミウオもワタクシたち人類の遠い親戚筋だそうです。そういえばフウセンウオはワタクシにそっくりかも。(写真は2003年10月、ノシャップ岬寒流水族館で)
ワケありの葉山行きも一段落です。ところで
<理性は刹那を食い止める>
関西テレビの“あるある納豆捏造事件”でそんな言葉を思い出しました。してはいけないことを、追い詰められてあるいはその他の思いからやってしまう。しかしそこを何とか抑えるのが理性でしょう。
もっとも我が身に照らし合わせてみればいささか不安があり、「あなたもその言葉をよくかみしめなさい」と家人は申します。いささかどころではない、と言外の指摘であります。
「かわいいフウセンウオとあなたといったいどこが似ているの。体形は似ているけどね」とも。はい。ここは理性でじっと我慢です。
<理性は刹那を食い止める>
この言葉は、三木成夫・故東京芸術大学教授の「海・呼吸・古代形象」(うぶすな書院)にありました。三木成夫といってもご存じない方も多いでしょう。大正14年香川県生まれ、昭和62年没の解剖学者であり思想家でもありました。
ワタクシが知ったのはあの養老孟司氏が「尊敬する人」としていたからです。本を一冊読んで驚きました。ワタクシが驚いてもたいしたことはないので、解説から一部ご紹介します。
「三木成夫の著書にであったのはここ数年のわたしにひとつの事件だった」「この発想法をつくりあげた思考をわたしはマルクスや折口信夫のほかに知らない」「この指摘と洞察は、とりわけわたしには眼から鱗が落ちる気分だった」(解説 三木成夫について 吉本隆明)。
動物の口から肛門までの腸管系をそでまくりするように裏返ししてくぼみを外に引っ張り出すと植物になる、と言い、「私たちは遠い祖先の時代から、この波打ちのリズムを心拍とともに呼吸の中にも深く刻み付けてきた」。
すなわち「人間は大海原の波動と一心同体になって生き続けてきた」と説くのです。
「海・呼吸・古代形象」は吉本隆明氏をして「眼から鱗が落ちる気分」と言わしめるほどの刺激的な本です。吉本氏は改定新版「共同幻想論」の角川文庫版の序でも「もとをただせば国家は、一定の集団をつくっていた人間の観念が、次第に析離(アイソレーション)していった共同性であり・・・こういうことがわかったとき眼から鱗が落ちるようなきがしたのである」と書きました。
この比喩がお好きなのでしょう。出典は新約聖書使徒言行録9サウロの回心で「たちまち目から鱗のようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった」です。
三木成夫氏はさらに人間と魚は「遠い昔、共通の祖先から出て陸と海に分かれた親戚同士にあたる」とも。
だから波打ち際にいつまでも座っていても飽きないのか、とワタクシも目から鱗がおちるような思いで納得しました。我が家の若い者<や>はしかし「気だるくなるからいや」と申しております。
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